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学習されてしまっているように作る

講師やインストラクターとは全然違う視点から見てみようと思う。

会社経営をする経営者や管理者はいつも、どこでも
人事のことで頭を痛めている。

なかなか成果を出さない
仕事に対する責任がない
スキル的に未熟
そもそもやる気がない

これは本当にびっくりするくらいどこでも起こっていることで
そしてそれと同じぐらいどこでも起こっているこの問題の対処法は

部下を教育しなければならない

というものだったりする。
ところがこれが大間違いなのだ。

どの会社のどの部門でも、そしてどの経営者もどのコンサルも

教育によって人を伸ばすことはできない

という現実・・・歴然たる事実に目を向けない。
誰もが判を押したように同じことを考える。言う。
行動する経営者は早速研修を取り入れたりする。

もちろん名刺の渡し方やワードの使い方など
技術100%のものは教育すれば使い物になるようになる。
しかし今回はそういう話ではない。

「いや、そんなことはない。自分は教育によって伸びた。他にもそういう人を知っている」
そんな声が聞こえてきそうだ。
では訊くが、

その教育によって他の誰かも自分と同じように伸びたか?
実際に使い物になるとか、成果を出せるようになる
というところまで伸びた人は全体の何%だろう?

冷静に事実だけを検証してみると
使い物になるケースが10%以下であることがわかるし
さらにその使い物を維持し続ける%はさらに下がる。

これは教育の成果が出ていないに等しい。

マネジメントの世界では、人を成長させ伸ばし
責任感を養い、自己モチベーションを自分で高められるようにするには

できている人のできているところにフォーカスするしかない

ことが明らかになっている。

例えば30人の部下がいる。(30人の受講生がいる)
そのうち何も教えなくても自分で責任を負い、仕事にやりがいを感じ
成果を出すために自分を使うことができる人が2割6人いるとする。

その真逆の全然どうにもならない、やる気もなければ成果も出ない
そんな人も同じく2割6人いるとする。

その間のどっちつかずの人が6割12人だとする。

もしあなたが経営者や管理職であったり、
教育者やインストラクターだとしたらどこから手をつけるだろうか?

実はこの答えは明白に決まっている。

できる方の上位2割6人から手をつける

彼らはすでに成果を上げる。
責任感もあり、自分で意欲を示す。

一見教えることはもうないように思える。
というよりも「教える」ことはほとんどないかもしれない。
あるのは「もっと成果を上げさせる」ことだ。

こう考えるとわかりやすい。

上位2割の人がさらに成果を出すのは簡単か?
中位6割の人がさらに成果を出すのは簡単か?
下位2割の人のほうが成果を簡単に出すか?

答えはシンプルだが上からが簡単順になっている。
ではなぜ簡単順にしなければならないのだろう。
それを少し見ていこう。

成果を出す人が評価を受ける。
すると成果を出すと評価を受けるという図式が作られる。
当たり前に思うかもしれないけど
これは一種の暗黙知になり、
これが繰り返されるとそのグループのルールになる。

もちろん特に下の2割に属する者は居心地が悪くなるか
反発するかもしれない。しかし、それも織り込む。

成果を出す人が評価されるようになると、
もともと成果を出せ、責任感もある人は
成果を出すことにコミットできるし、モチベーションも維持できる。

その状態が暗黙知になりルールになると、

暗黙知でありルールだからその方向に引っ張られる

という中位の人が出てくる。全員ではない。一部出る。
その人たちもやる気を出した分評価される。
やる気が成果に結びつかない場合は評価されないが
評価するもの(講義なら講師)が結びつくようにガイダンスする。

「ガイダンス」もこの暗黙知に従っている人にする方が
文句を言いつづけ、やる気のないものよりも効果を出せる。
だから中位の中で成果に引っ張られるものを引っ張り上げる。

ただし、ここに至っても教育では引っ張り上げない。
成果を評価することで引き上げる。
頑張りが成果に直結しない場合だけヒントを出す。

これによって成果を上げる人数が増える。

すると次の時点ぐらいまではそれに引っ張られる人が出てくる。
仮にこれで5割が成果を出すようになったとしよう。

この頃になるとはっきりと顕著な違いの傾向が出てくる。
ここまでほとんど一度も教育は登場しない。
教育という言葉の代わりに多用されているのは「成果」だ。

するとまだ仕事ができない人たちも、
成果を評価されている人を見てある違いに気がつくことになる。

それは、

成果を上げている人は以前よりもさらに成長している

という事実を見ざるをえなくなる、ということだ。

つまり、人の成長は成果を出した者が享受するものであって
教育を教え込まれた者が得られる結論ではない
ということだ。

教育からは主に理解が促進される。
しかしそれは机上の空論や単なる情報で終わることは多い。
実践と成果が人を以前よりもできる状態に引き上げる。
だから成果に注目することが成長を促すことになり
事実成果を上げる人ほど大きく成長する。

成長曲線に止まりはあるが別の話題になるのでここでは触れない。

どの教育現場でも、マネジメントの現場でも多くの人がこれを間違っている。
本当は教育者、そのような仕事に就いている者ほどこの事実を胸に刻まなければならない。

だから「教えてくれたらできるのに」とか
確かに技術的なことはそうでなくてはできるようにならない
「自分なりの努力をするとか」
「こっちを向いてくれたらもっとやるのに」

という人が伸びる日は永遠にこない。
彼らはここに書いた方向を見ており、成果を向いていない。
成長するのは成果が必要だが、
成長しない別の物事に一生懸命取り組んでいる。

こういう人を教育によって変えることはできない。

教育をする者は教育者であれ、経営者であれ、誰かの親であれ
ほぼ誰もが「できない側」に注目し時間を使う。

例えば自分の子供が3人いるなら、ダメな子に時間をかける。
するとできる子や良い子は、いくらそれを持続しても一向に評価されない。
こっちを向いてくれない。ならやる意味ないよな?とやめてしまう。

下から伸ばしてはいけないのは経営者も同じだ。

もし下位2割6人に目を向けてしまうと、

もっとも伸びないところに労力を払い成果が上がらない(上がりにくい)
できる人間が評価されないので最低限の水準に成果を落とす

ということが起こる。
頑張るだけ無駄ということになるし、
ある意味監視の目がなくなるのだから適当にやればいいという
中位6割12人のうちの数人の空気に引っ張られ暗黙知ができる。
それが約束のないルールになってしまう。

その空気や、コミュニティの中で頑張る人は出ない。
必ず上から手をつけ、全体作りをするように意識する。
これは講師業やインストラクター業をやっている人も同じだ。

では下位2割、あるいは途中から二分化した残りの5割は切り捨てるのか?

成果による暗黙知やルール作りができると「フロー理論」といって
全体が向上する向き、方向づけが生まれる。
または「形態形成場」といってそれが当たり前の風潮が生まれる。

それでもどうしても合わないという人は出る。必ず出る。

まず行うことは残りの5割の中で、

分割さえすれば簡単に成果を上げることができる

という人に注目する。

昔コンサルティングで入った会社で
テレアポでアポをとってから、先方の会社に説明に行く
というスタイルの営業部があった。

それぞれの営業マンがリストを渡され一件一件電話をかける。
アポが取れたらその時間は外回りに行く。

そんな中周囲から、社長から「あいつダメだな」と思われている男性の社員がいた。
彼はどうも、人前だと萎縮し緊張するようで
アポをとった会社に行っても契約を取ることができずにいた。

ところが。

社内でリストを見て会社に電話をかける。
するとどういうわけか、アポイントを取るということに関しては
社内一の数字を出していた。
しかし訪問すると全部滑る。
また社内で電話をする。良い数のアポが取れる。

その会社の経営者はそんなことを見ていなかったが
こういうことがある場合
その男性社員にはテレアポの仕事だけに専念してもらい成果を出してもらう。
それを評価する。

そしてテレアポが苦手な社員が訪問すればいい。

こうやって業務を分割して、成果を上げれる(高いと望ましい)ように運ぶ。
もともとの仕事の仕組み(教える仕事なら教育のしくみ)そのものを変える。

そうするだけで多くの人が簡単に成果を上げられるようになる。

最後に責任感もやる気もないという場合。
教育の出番か?

残念だがそうはならない。

その人は「その仕事」で成果を上げることは「体制的に無理」ということがわかる。
なら教育をしても無理だ。

だから、「別の仕事」を振り分けるしかない。
それも左遷のようにするのではなく、
適任が見つかるまで、その人が十分な成果が上げられるまで配置を変える。

成果が上がる仕事をさせる。
必然的に評価され、成長する。
なら自己責任と自分による動機付けも可能になる。

教えることでわからせるというのは
少なくともマネジメントにとっては下策になる。

成長してしまうのでわかってしまっている

この状態をどうやって作るのか?ということこそが
経営者はもちろんのこと
実は教育者が真っ先に考える課題であることは案外無視されている。

何にもっと頭を使うべきか、もう一度見直してみてはどうだろうか。

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